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Interview with Yoshihiko Ueda (A Garden of the Camelias): Don’t Move and Watch the Leaves Swaying Away From the Trees Delicately

上田監督ご自身として、フォトグラファーから映画監督までの変化についてどう思いますか?

この変化は私自身の映像に対しての可能性を追う、その過程としてごく自然な流れだと感じています。
写真と映画の共通点、それとは反対に大きな相違点に心を配りながら、40年間付き合ってきたカメラとフィルムという時間を生け捕りする魔法の道具で、映画という表現に真摯に向き合いました。その結果、これ以上ない幸せな瞬間を制作過程の中で何度も味わいました。
そして、映画という表現に魅了されました。

「椿の庭」のストーリーの最初のインスピレーションはなんでしたか?

15年ほど前、その頃暮らしていた自宅の近くを散歩するたび、いつも見ていた大好きだった古い家と庭の大きな木が解体され、なくなってしまった風景を見た時に、不思議な強い喪失感を覚えました。それがこの映画を撮ろうと思ったきっかけです。

あの一軒家は物語の中で大事な役割があります。どのようにしてあの家を見つけたのですか?選んだ理由も教えてください。

実はあの家は海の見える高台にある私の大事にしている古い家で、
映画を撮ろうと思った当初から、あの家を思って物語を書いています。

映画に出てくるような家や庭の将来について、監督が望むことや恐れていることを教えてください。

現在日本において、あのような古い家や庭を維持していくことは大変難しい状況にあります。
例えば、伝統的な家を作れる大工や様々な職人たちの数が減ってきてしまっています。
また日本独特の相続税という法律が古い家を次の世代に渡していくということを難しくしています。
そのことで大切な家を手放さざるを得ない人が多くいます。
また、ライフスタイルの変化で畳や障子、襖などといった日本独特の生活様式を好まない世代も増えてきています。
そのことによって、それらのものを一括りに古いという見方をしてしまいがちな世代が大半を占めているのも事実です。
美しい日本の佇まいを持つ家を、できるだけ多く次世代に繋げてゆくことで、日本独特の風景を永く残したいと願っています。

最初は「椿の庭」は自然ドキュメンタリーみたいなだと思いました。自然のクロースアップが多く、人間は自然の景色の中に上手く収まっています。意図的にそのようにされていますか?通常、映画の映像に関して、監督はどのような目的を持っていますか?

私は映画で日常と呼ばれる無常を表したいと思っていました。
日常と呼ばれている、我々の目の前にある時間。そこにあるのは、いつも見ていると思い込んでいる見慣れた景色、とるに足らない些細なこと。いつもの家族の顔。
しかし、そんな、なんでもない目の前を流れる時間にこそ、真実と存在があると思っています。そしてその瞬間は、二度と見ることができない、”無常”の風景なのです。
目の前の葉っぱが小さく揺れることをじっと見ること。
雨が降り、ポタポタと乾いた屋根瓦を濡らしていくこと。
花が咲き、その花を土に落とし、色を失い土に溶けていくこと。
小さな虫の生き死に。
空や雲や、あらゆる生き物の生き死に。
その営みの中に人の営みも等価にあると思っています。
私は、あの映画の中で、人や花、虫や木、全てが等価だと考え、そのように写したいと思っていました。人もこの世界と溶け合い、生きています。
そういう断片、部分と思われるものを丁寧に拾い、編み込んでいくことで自然に全体が現れてくると確信しながら映画を作っていきました。

渚は日本から離れてましたので、国語や日本文化などを学び直さないといけませんでした。渚の外国のバックグラウンドのテーマはどこから来ましたか?

実は渚は元々の脚本では12、13歳の日本人の少女を想定していました。まだ大人になりきらない複雑な年代の少女でした。
その少女役をキャスティングしている最中に、日本に来たばかりの韓国の女優シム・ウンギョンさんを紹介されました。
当時の彼女の日本語は片言でしたが、少ない言葉で一生懸命に自分を表そうとしている姿と一つの言葉に託す思いの強さに感動し、自分が渚という少女に求めていたのはこういうことだと気づき、渚はこの人にしようと直感で決めました。
そこで、渚の部分の脚本は彼女に合わせて、その後一通り書き直すことになりました。
まず、渚はシアトル生まれと設定しました。
それは私がQuinaultという森の写真を撮るために、ワシントン州に何度か撮影旅行した経験があり、その途中にあるシアトルという街に感じるものがあったためです。
そして、父に結婚を反対された、長女の葉子は夫とともにシアトルへ渡りそこで渚が生まれ、親子3人で幸せに暮らしていた、という設定にしてあります。
(最後に渚が読んでいた手紙にシアトルと書いてあったのですが、誰も読めなかったと思います。(笑))

キャスティングについての詳細を教えてください。特に、韓国人のShim Eun-kyungと台湾人のChang Chenについて伺いたいです。その二人との撮影中の監督の関係はどのようなものでしたか?

私は東アジア独特の香りを持った映画を撮りたいと思っていました。
カナダやアメリカもそうですが、いろいろな国の人が隣人として、自分の近くに住んでいます。
東京もやはり同じです。
韓国人であるシム・ウンギョンさんや台湾人であるチャン・チェンさん、日本人である富司純子さんや鈴木京香さんが家族として、隣人として自然に溶け合う風景を撮りたいと思っていました。
シム・ウンギョンさんについては先にお話しした通りです。
チャン・チェンさんについては20年来の友人で、どうしても僕の映画に出て欲しかったという、非常に個人的な思いがありました。
彼のような、アジアの香りを持った、独特の空気感を身にまとう俳優を他に僕は知りません。
彼の存在はこの映画の香りを左右すると思っていました。
そのため、何がなんでも彼に出て欲しいと思ったというのが正直な話です。
また、主役・絹子役の富司純子さん、そして、陶子役の鈴木京香さんはこの物語を書き始めた当初から、彼女たちでなくてはならないと心に決めておりました。

今後も映画を監督される予定はありますか?もしそうでしたら、現在すでに新しい作品に取り掛かっていますか?
映画監督を続ける予定はありますか?もしそうだったら、何か新しいプロジェクト途中ですか?

もちろん、今後も映画を作っていきたいと思っています。
この椿の庭が完成した時、その喜びはかつて自分が経験したことのないほど大きな喜びでした。自分のこれまでの写真や音楽、いろいろな経験は、大袈裟に言えば、
この映画を作るためにあったのではないかというような、作るということへの大きな喜びを感じました。
そして、現在次の映画の制作準備に入っています。その映画のタイトルはお伝えすることはできませんが、今年撮影を予定しておりました。しかし、このコロナ禍によって延期をやむなくされ、来年春を目指して準備を進めております。
次の映画もアジアの風土に根差した、人々の日常の暮らしとそこに漂う豊潤な香りを大切にした、美しい映画を作りたいと思っています。

About the author

Andrew Thayne

Born in Luton, Gross Britannia, my life ambition was to be a Teenage Mutant Ninja Turtle. But, as I entered my teens, after being introduced to the films of Bruce Lee and Jackie Chan (at an illegal age, I might add), it soon dawned on me that this ambition was merely a liking for the kung-fu genre. On being exposed to the works of Akira Kurosawa, Wong Kar-wai, Yimou Zhang and Katsuhiro Otomo while still at a young age, this liking grew into a love of Asian cinema in general.

When not eating dry cream crackers, I like to critique footballing performances, drink a beer, pretend to master the Japanese and Hungarian languages and read a book.

I have a lot of sugar in my diet, but not much salt.

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